T-7(56-5930)  第12飛行教育団(防府北基地)

文字が剥がれており、塗装ではなくテープ状の物を貼っているの?

インターネット航空雑誌 ヒコーキジャーナル第238号

明日は仕事だし大阪まで運転して帰らなければならず、混まないうちに急いで防府駅行きのバス乗り場に並びました。
あっ! 中国航空協会のブースで私のルーツの県である山口県の航空史の本を帰りに買って帰ろうと思っていたのに忘れていました。
並んでいる時に思い出したのですが、もう戻れません。 次に来た時はあるかな~?。

2009年5月31日に撮影した写真ですが、大きな変化はありません。 しかし見事な芝生で、雑草が写っていません。 私も庭に狭いですが芝生を敷いておりますが、取材・編集等が忙しく雑草がいっぱいです。
やらされているのかやっているのかわかりませんが、手入れをしている防府基地隊員の努力のたわものです。

周りには台湾人か中国人の団体がいました。 防府北航空祭という戦闘機が配備されていない小さな基地であるのに、世界にはの超航空マニアが多数いるのですね。

F-104J(36-8537)

男性用トイレ4っつに対してこの列ですから、来年以降はトイレを増やす必要があるようです。 男性トイレは小便専用トイレを置くと回転が速いですよ。

陸上自衛隊格納庫を利用した休憩所

陸上自衛隊は各種車両も展示していました。

後では74式戦車体験搭乗の土煙が上がっています。

OH-6D(31306)  第13飛行隊(防府分屯地)

この機体も2015年6月7日に行われた2015年度防府北航空祭で展示されていました。

OH-6D(31304)  第13飛行隊(防府分屯地)

次は機動飛行を行なったこの2機の紹介です。

OH-6D(31311)  第13飛行隊(防府分屯地)

この機体は2014年6月1日に行われた防府北航空祭でも撮影しており、長く第13飛行隊に所属しています。
このように長く同じ部隊にいると北海道や東北の機体を撮影できず、できればIRANごとに所属部隊を換えていただきたいが、一マニアの考えなど聞いてもらえることはないでしょうね(笑)。

UH-1J(41910)  第13飛行隊(防府分屯地)

UH-1J(41814)  第13飛行隊(防府分屯地)

UH-1J(41908)  第13飛行隊(防府分屯地)

初撮影の機体を撮れると嬉しくなります。

この機体は6月1日に防府分屯地に到着しており、着陸する姿を撮影しています。

管理換えで第5対戦車ヘリコプター隊(明野駐屯地)が運用しているとのことで、私としては初撮影の機体で、以前は明野駐屯地の教育支援飛行隊に所属していましたが撮影していませんでした。
八戸駐屯地所属機なので管理換えがなければたぶん現役時代の姿を撮影できなかったと思われ、運よく今回撮影できました。

AH-1S(73457)  第2対戦車ヘリコプター隊(八戸駐屯地)

機動飛行を行っていました。 三沢基地でよく見ていたで第8飛行隊機を山口県で見れた事が何か不思議な感じがしました。

F-2A(53-8531)  第8飛行隊(築城基地)

第12飛行教育団の教官なのか第13飛行教育団の教官なのかわかりませんが、このような遊び心のある教官が自衛隊にいることで国民は親近感を持てるでしょう。
年に一度の航空祭で来場者を楽しまさせてくれる頼もしい自衛官です。
顔も写った写真も撮っていてブログへの掲載許可をもらっていますが、自主規制で掲載はやめておきます。
ワッペンの顔よりだいぶハンサムでチョイ悪親父のような方でしたが、映画「トップガンⅡ」に航空自衛隊教官役で出てほしいような方でした。

この777号機は展示機でよく見られ、777というパチンコ好きにはたまらない番号機であるが、私的には色々な機体を展示機として送り込んでほしいな。

T-4(96-5777)  第13飛行教育団(芦屋基地)

説明板②  防府北基地が準備した説明板と思われ微妙に違うところがあります。

説明板①  第202教育航空隊が準備した説明板と思われます。

T-5は初期導入機は既に退役しており、何号機くらいまで退役しているのか私は把握していません。 昔はよく小月航空基地のイベントに行っていたので、昔作った自衛隊機一覧表を見ると36号機まではほぼ撮影しているようです。
最近は小月航空基地のイベントにほぼ行っておらず、36号機以降の機体はあまり撮影していないでしょうね。
いつの日か作りたい全機写真集のために小月基地にも行かなければならないが、まずキッズフェスタは千歳航空祭と被っていて行けません。 スウェルフェスタについてはまだ開催日の発表がまだのようですが、はたして行くことができるかな? これだけ全国の多くのイベントに行っているとと、行く前に我が家の財政が破たんするかもね(笑)。

T-5(6361)  第201教育航空隊(小月航空基地)

T-7(76-5946 特別塗装機)  第12飛行教育団(防府北基地)

T-7(86-5947)  第12飛行教育団(防府北基地)

T-400(41-5051)   第41教育飛行隊(美保基地)

UH-60J(78-4603)  たぶん芦屋救難隊(芦屋基地)

航空機の正面の姿は多くの方々が撮影したいものですが、ちょうど正面にシートや椅子を置いて居座るのはやめていただきたい。 正面の姿を撮影する人のことを考えてくれればいいのだが、ちょうど正面の一番前で立ったまま「俺の取った場所だ!」という感じの方を時々見かけます。
斜めから撮る写真はシートや椅子や人を避けながら色々な場所からなんとか撮影できますが、正面からの写真を撮れる場所は正面1ヶ所しかありませんからね。

OH-6D複数機による機動飛行を久しぶりに見ました。 OH-6Dは多くが退役していて日本全国にある各飛行隊は小数機しか配備されておらずおり、OH-6Dの複数機による機動飛行は今年の防府北航空祭が最後かもわかりません。
来年ももしかしたらあるかもわかりませんので、OH-6Dマニアの方は来年は防府北航空祭に行ってください。

OH-6D(31304) OH-6D(31306)

防府南基地祭で展示した物と同じ築城基地から来た第8航空団基地業務群築城基地防空隊。

ラジコン展示

説明板

PZL-Swidnik PW-5 Smyk(JA21GF)  所有者:個人  定置場:山口県周南市

中国航空協会ブース

T-7(46-5910)・(56-5925)  第12飛行教育団(防府北基地)

T-400(41-5051) T-400の1号機です。  第41教育飛行隊(美保基地)

航空学生顕彰館を出ると第13飛行教育団T-4の4機編隊が航過飛行で通過していて、機体番号はわかりませんでした。

航空学生顕彰館館内案内図

昭和46年(1971年)3月22日にも航空機事故発生とあるがこれも調べても出てこず、防府北基地で何らかの事故があったのでしょう。

何か書いているが読み取れませんでした。

昭和43年(1968年)頃の写真だと思うのだが、今とは違うところでF-86D-50(04-8203)が展示されていたことがわかり、その頃からF-86Dが展示されていたこともわかります。

航学隊隊舎起工式と書いている右側の写真が関連写真だと思われ、完成時の写真であろう。

防府北基地・航空学生・航空自衛隊の年表がありました。

航空学生卒業生の顔写真が展示されていますが6期生からのようであり、抜けている期生もあります。 航空学生出身者で航空自衛隊を既に去った人でも、ここに来れば昔の自分の写真や同期の方の写真を見ることができますよ。

航空学生出身女性パイロットの写真があり、今はこの方々以外にも多くの女性パイロットがいると思うが、先輩でC-1の女性パイロットが殉職されていますので(墜落はこの女性パイロットが原因ではないが)、これからも安全運航をよろしくお願いします。
いつの日か女性戦闘機パイロットが誕生するでしょうね。

T-3用SNOOPY TOOL

デバイダー

航空自衛隊航空学生教育群旗

航空学生の歌

警備していた幹部隊員によると、航空機事故による殉職隊員の遺影を安置しており、基地内での事故等航空機事故以外の航空学生殉職者の遺影は安置していないと思うとのこと。

航空自衛隊航空学生顕彰室

プロッター

姿勢指示計

T-1用EMER HATCHET  着陸時の事故などでキャノピーが開かない時に使うのでしょうね。

航法計算盤

航連会から定年退官者に贈られるゴールドウィングマーク

まず、航連会という組織を知らず、「航連会」でネットで調べてみると「全日本航空事業連合会」が出てくるけど違いますよね。
まあ航空自衛隊にそういう組織があるのでしょう。(航空学生連合会の略と判明しました)
ゴールドウィングマークは航空学生出身者だけ貰えるのでしょうね。
あと、ヒコーキジャーナルでも間違いだらけで書く立場ではないのですが、「送られる」ではなく「贈られる」でしょうね。 まあ本人に郵便が宅配便で送るからそれでいいと言うのかもわからないですけどね(笑)。
ついでに、青と茶色入れ物は何が違うの? まさか退官時まで階級で区別はしていないでしょうね~。

T34学生ソロフライト用吹き流し

防衛庁長官として山木貞助氏かなと思い調べてみてもそんな人はおらず、山が最初に付く人は山崎・山下・山中の3人しかいないのですが、誰なのでしょうか?
山中貞則氏のことかな~? 山と貞はわかるけど、他は読もうと思えば読めるかな。

航空学生発足式弐拾周年記念寄せ書き  源田実氏の名前がありますね。

その中に「小月PX(厚生センター)スタンドのママさん」という写真があり、なぜ小月基地の写真があるの?と思い調べたところ、1956年(昭和31年)から1964年(昭和39年)まで航空自衛隊小月基地がありました。
このママさんは元気なのかな~?

航空自衛隊装備の変遷

一番古いのは昭和28年のT-34Aで、F-35Aはまだ書かれていませんね。

航空自衛隊飛行隊識別帽

展示室

航空学生顕彰館に戻ると開館していました。

防府北基地退役機展示場

UH-1J(41814) OH-6D(31306)

これはオープニングフライトでしょう。 T-7(56-5925・46-5910)

こちらも展示機撮影中の離陸で、写ればラッキーという写真です。 UH-1J(41814) OH-6D(31306)

T-7が2機(56-5925・46-5910)離陸していきました。 展示機撮影中で後ろ姿です。

説明板

ピトー管はカバーされています。

銘板にも製造番号は137と刻まれており、このランチャー銘板に刻まれている製造番号は機体番号と関係があり、その機体向けのミサイルランチャーであろうと思えます。
よってこのランチャーはT-2後期型(79-5137)用と思われます。

右ミサイルランチャー  このランチャーは先端部に137と書かれています。

製造番号173と刻まれており、T-2後期型(19-5173)号機用の物なのかもわかりません。

左ミサイルランチャー

256と書かれています。 前号のヒコーキジャーナル236号で、防府南基地で展示しているF-1の脚固定器具に機体番号が書かれていたが写真ではわからなかったと書いたが、もしかしたら北基地のF-1と勘違いしたのかもわかりません。
これを装着していれば脚を収納できず、昔LM-1であったような何者か(LM-1の場合は整備員)による航空機強奪飛行事件を防ぐための用途もあると思うのだが、この固定器具は他の機種にもあるのかな?
もしかしたら旅客機にもあるのかもわかりませんね。

主脚にある赤い脚固定器具ですが・・・

2004年11月16日撮影写真  大きな変化はありません。

F-1(10-8256)

説明板

キャノピー部には機体番号表記は無し。

T-1主輪

独特な形状です。

T-1増槽

2004年11月16日撮影写真  大きな変化はありません。

T-1A(15-5816)

ドラッグシュート収納部カバーが開いており、写真で調べてみると3年前は閉じていました。

左主翼

ワイパー換わりのエア吹き出し口

レドームは全国どの展示機体も劣化が激しいですね。

防府南基地の機体と同じように上から塗装され判読不能。

調べてみると、2015年6月7日の時点では装着されていました。

エアインテークカバーが前輪横に落ちていました。

なんだ~この棒は? 物を入れられにくいようにしているのかな~?

2006年7月16日撮影写真  大きな変化はありません。

F-86D-50(04-8203)

説明板

T-33Aの写真を調べたところ、島根県出雲市で展示している81-5340号機のエアインテークカバーを撮影しており、ひっくり返して奥に設置すればぴったり合う純正品だろうと思えます。 ただ新しい感じがするので、展示機の為に隊員が作成した物という感じもします。

2枚共に防府南基地の機体と同じように上から塗装されていて、刻印を確認できませんでした。

恒例の前脚扉銘板ですが・・・

キャノピー付近に機体番号の表記はありません。

2006年7月16日撮影写真  増槽の塗装の劣化以外大きな変化はありません。

T-33A(51-5632)

説明板

2015年6月7日に銘板を撮影していて、製造番号CG-42と刻まれているので41-0309号機で間違いありません。

なぜこのような黒い汚れが付いてしまったのだろう?

2004年11月16日撮影写真

2006年7月16日撮影写真  現在は赤色の塗装が劣化しており、部隊マークがほぼ消えています。

T-34A(41-0309)

説明板

冷却エア吸入口にカバーが付けられており、鳥の巣対策と思います。

2004年11月16日撮影写真ですが、当時は説明板が無かったことがわかり、旧管制塔が写っています。

2004年11月16日撮影写真が出てきました。 この写真は航空祭ではなく、飛び込みで見学を申し込んで撮らさせていただいた写真だと思います。

T-3(81-5506)

退役展示機の撮影開始です。

航空自衛隊の多くの基地に行きますが、一番完成度の高い銅像です。

仕方ないので、入口横に置かれている航空学生創設50周年記念碑の撮影だけしておきました。

皆さんは手荷物検査を受けた後にエプロンに向かいますが、私は航空学生顕彰館(防府北基地資料館)の見学に行きました。

基地に着くと手荷物検査があります。

防府北基地正門

基地近くのスーパーマーケットでは、航空祭に行くために駐車する方を防ぐため警備員が立っています。 岐阜基地近くでも見たことがあり、自衛隊側負担の警備員でしょう。

7時56分には乗れて出発できました。

バスが連続して来るためか、私が並び始めた頃と列の長さは変わっていない感じがします。

乗り場近くまで来ました。

7時37分には第1便のシャトルバスが出発しました。

7時10分撮影写真

今日は帰る日なので早く基地を引き揚げなければならず、入場まで時間がかかれば引き揚げが遅くなるので、私ものんびりしていられません。

7時18分には列の中に入っていました。

7時03分撮影写真

6時29分撮影写真

航空祭は9時開始なのだが、もう既に航空祭に行くと思われる方々がシャトルバスを待っているようです。

TOP

後はランウェイウォーク参加者の列です。

2015年6月7日に行われた2015年度防府北航空祭でも同機は格納庫内で展示されており、長く第13飛行隊に所属しています。

おっ OH-6Dが3機も配備されている! 残り少なくなったOH-6Dを3機配備されている部隊は少ないでしょう。
3機を一緒に見たのは数年ぶりではないかな。

説明板   製作会社をSUBARUに変更しており、第13飛行隊隊員の気遣いを感じる説明板です。

F-2A飛来!

TC-90(6830)  第202教育航空隊(徳島航空基地)

中国航空協会案内板   私はパイロットにならない(なれない)まま死んでいくでしょう(笑)。 でも軽飛行機とモーターグライダーとヘリコプターを少しだけ操縦経験済み。

当時はアップの写真を撮っておらず、わかりにくいですが中央上部の写真がF-104J(36-8537)の写真です。

2009年5月31日撮影写真   古い写真は黒い部分があり、何かパネルが外れているのかな?

CLIP BOARD   パイロットが太ももに付けてメモ紙を挟んで見られるようにする物と思われます。

前輪収納部内の酸素ボンベ  無造作の場所に設置されている感じがあり、設計時にはなかったボンベがもっと必要とわかり、急遽ボンベを設置できる場所を探して設置したのかな?

説明板  最大速度1180Km/Hはほぼマッハ1ですね。 製造が三菱重工?

今回も3年前と同じく防府駅前のホテルを取ることができ、6時10分に駅前を撮影してみました。

今号では、2018年6月3日に航空自衛隊防府北基地で行われた防府航空祭の模様をお送りいたします。

約4時間15分の滞在で約1250枚の撮影で、平均にすると約5枚/1分撮影していました。
最後まで見ていただきありがとうございました。

説明板  最大速度はマッハ2だったっけ?

最後にF-104Jを見に行きました。

この機体は2014年2月23日に行われた小牧航空祭の時に撮影しており、当時は第10飛行隊(明野駐屯地)所属でした。

UH-1Xと機内の広さは同じなのでしょうね。

陸上自衛隊第13飛行隊エプロンにやってきました。

T-4の前にこのようなワッペンを付けた方がおられ、コスプレの衣装を着た方かなと思ったのですが、以前はF-4のパイロットで今は教官をしていると言っていたと思います。
ワッペンは自分で作ったそうで、ワッペンの顔とそっくりですがとてもハンサムな方でした。

航空写真マニアは両手でカメラで撮影するため他の機材や荷物を大きなバッグに入れて背負わなければならず、私もこのような格好で航空祭に行きます。
オタクの格好ですが、必然的にこのような格好になってしまいます。

6827号機がフィリピンに譲渡されたので、この6830号機は来年くらいには退役するのではないかな~? 1機1機撮っていくことも楽しいものですよ。
退役すると展示機にならない限り、永遠に撮ることはできなくなります。

昭和51年(1976年)3月17日にも航空機事故発生とあり調べてみると、T-34A(41-0301)が福岡県に墜落し、2名の搭乗員の方々がお亡くなりになっています。
なおこの日は、JALのB-747が東京からニューヨークまで初の無着陸飛行を行った日でもあります。
関係ないですがこれらの事を調べていて、T-3は事故により退役した機体が無いということがわかりました。
T-7も事故による退役機は無いので、富士重工業が優秀な航空機を開発したことと、優秀な航空自衛隊教官パイロットと整備員のおかげでしょうね。
次期T-5後継機も優秀な航空機となるでしょう。

展示用F-104J(36-8537)防府北基地に来基とあるが、2009年の時点では写真もあったのが無くなっており、年表を作り直したのでしょう。

昭和32年(1957年)8月22日に航空機事故発生とあるが調べても出てこず、防府北基地で何らかの事故があったのでしょうね。

んっ! 大戦末期に日本が「橘花」というジェット戦闘機を開発したのでは? 調べてみると1945年(昭和20年)8月7日に12分間の初飛行に成功したとあり、日本人パイロットだったのではないかな~?
防衛庁が越中島にあったというのもビックリ。

コクピット写真としか書かれておらず、機種がわかりませんでしたが・・・

T-4タービンブレード

操縦桿グリップ(F-4・T-4)

右のグリップは地震で倒れたの? 以前ここでF-4とT-4のグリップは同じと聞きました。

えっ! 航空自衛隊でも遠泳訓練があるの?

アルバムを展示していて・・・

エンジンは装着済みでしょう。

キャノピー付近の機体番号表示は無し。

ロケットランチャーの銘板は・・・

このエアインテークカバーは隙間があり過ぎ、左下には変なへこみがあるので、純正品ではなく、他の用途に使われていた物ではないかな~?

銘板

2009年5月31日撮影写真  大きな変化はありません。

が、9時に開館とのことで、玄関は鍵がかかったままで館内は真っ暗です。 9時から開催の航空祭なのに8時13分に基地に入れる柔軟なところと、きっちり9時まで開けない航空学生顕彰館の固い対応に不思議な感じがします。

平成30年度防府航空祭

ポーランド製のグライダーで、この機種は日本で今までに17機登録されていますが、2004年2月1日にJA21TT号機が読売大利根滑空場で利根川に墜落し抹消登録されています。 読売大利根滑空場ってどこにあるんだ?

右上のラジオコールプレートに36-5906と書かれており、T-7(36-5906)の計器盤というのがわかりました。
しかしT-7の計器盤は板に計器を付けただけの経費節減の安っぽい計器盤ですね。
海上自衛隊のT-5の後継機用にJA8222号機体ががまたもや改修されてSUBARU工場で撮影されていましたが、もう少し味のある計器盤にしていただきたいです。
でも時代はグラスコックピットの時代ですので、次期海上自衛隊練習機もこれに液晶ディスプレイが装備されるだけかもわかりません。

右側の方が塗装が劣化しています。