インターネット航空雑誌 ヒコーキジャーナル第234号

露出補正しないといけないくらいの頃に到着しては閉館していますよね。 前回来た時も閉館していました。

以上で2018年4月21日に行った場所のリポートを終わります。
前号でリポートした分と合わせて何ヶ所行ったでしょうか? 1日の取材ヶ所最高記録かもわかりません。
徳島港に遅い時間に着いたにもかかわらず、食事もせずよく頑張ったと自分でほめてあげたいと思います。
久しぶりの長編作ですが、最後まで見ていただきありがとうございました。

ここにある二宮忠八飛行館ですが・・・

ここは2度目の訪問だと思います。

ムーニーM20E(JA3318)

当日最後に行ったのは、空の夢もみの木パークです。

本当にこの道路からでは詫間海軍航空隊の面影はまったくないですね。

左にすべりが2つあります。

ここは小型水上機をクレーンで上げ下ろししていた揚降場でしょうか?

もう一つのすべり。

横は工場群が建っており、防潮堤の向こうのすべりを見ない限り水上機基地の面影は何もなく通り過ぎるでしょう。

わからん。

これも何でしょうね~?

向こうにもすべりが残っています。

う~ん わからん。

聞いてみるとすぐ上にある香川高等専門学校詫間キャンパスの学生で水遊びに来ていたとのことで、「みんなが立っているこの場所は何だったかわかりますか」と聞いてみると、かろうじて答えられた方は一人だけでした。
学校も以前は詫間海軍航空隊の施設があった場所と思われ、学校では教えないのかな~?
とても気さくな学生さんたちで、撮影とブログへの掲載許可を聞いても「いいですよ~」と元気に明るく答えていました。
「ブログ名を教えてくださ~い」と言うので教えてあげるとスマホで調べて、「ホームページですね」と言っていました。
えっ! 私のサイトはホームページなの?
ブログとホームページの違いもわからないおっさんが、学校の教育に苦言を言うのは失礼でしたね(笑)。



海の方へ降りてみました。

移転を受け入れたとあるが、半強制という世帯もあったでしょうね。

二式会というのがあるのですね。

真ん中

洞窟ではないようですね。

石碑の前に道路を隔てて洞窟があります。

すべり(滑走台)は3基あったのですね。 滑走路とあるがエプロンでしょうね。

裏側

詫間海軍航空隊跡を見下ろす高台に石碑があります。

1984年7月14日に羽田空港で撮影した全日本空輸所属時代の同機で、後ろに見える東亜国内航空と書かれている格納庫はすべて取り壊されたかもわかりません。
戦後すぐに建てられた格納庫がなくなり羽田空港は近代化・巨大化していっていますが、おっさんにとっては寂しさはあります。

1996年8月5日に丘珠空港で撮影した同機で、今は丘珠空港はHACしか就航していませんが(FDAもチャーターで就航中かな?)、ANA系のANKが就航していました。



それではJA8743号機が現役の時の写真を見てもらいましょう。 若い方でYS-11が旅客機として飛んでいた時代を知らない方がいるかもわかりませんしね。

門は閉められましたが、これで帰る普通の飛行機マニアではなくしつこいです(笑)。

超l広角ズ^ムレンズの撮影で、水平尾翼が変な形になってしまいました。

降りて一周回って撮影しました。

機体の下にある大きな機械はエアコンだと思われ、汗かきの私は気持ちよく見学できました。

機首側から見た機内 

以前YS-11のCAだった方は懐かしいのではないですか? でも元CAの方でヒコーキジャーナルを見ている人はいないでしょうね(汗)。

プロペラブレーキボタンなんかもあります。 CAさんが操作するの?

これがCAさんが使うタラップ等操作盤でしょう。

運用限界等指定書   このような書類を一般人が見ることはないので貴重です。

無線局免許状

航空機登録証明証

出口のところに航空機登録証明証・耐空証明書・無線局免許状・運用限界等指定書がありました。

まあ43を消された感があるラジオコールプレートを撮影できたからいいか。

リベット止めではなく接着剤なので違うかな?

ここに何らかの銘板があったのではないかな~?

副操縦席にはありません。

次はコックピットではなく操縦室です(笑)。

非常口

テーブルは現代の機材とそんなに変わりはありませんね。

表示していないとトイレを使う人がいるのでしょうね(笑)。

今でも旅客機として使えそうな機内です。

さあ機内に入りましょう。

後部から機内に入ります。

機内を見学できるなど思っていなかったが、予想外のことも全国を周っていると時々あります。
航空のイベントに行ったら護衛艦の体験航海に乗れたり、航空専門学校の見学ができたりもしました。 これからも航空の神様は私を見捨てないでね(笑)。

YS-11A-513(JA8743) 元ANKの機体です。

のんびりと見学はできません。 残り約18分で、高山航空神社に行っていたら間に合わなかったところです。

時間がギリギリセーフ! この機体をここで撮影するのは約3回目ですが、機内に入るのは初めてです。

ここに来た目的はこの機体です。 おっ! 機内に入れそうだぞ!

京浜急行電鉄及び東京急行電鉄及び高松琴平電鉄で走っていた60形62号電車
関東地方の方で懐かしいと思っている人もいるのではないですか?

さようなら~ また八尾でお会いしましょう。 ここは離陸時俯瞰で撮影できます。

コーナン商事の社長さ~ん 私は生活用品をコーナンでよく買っているので一度乗せて~(笑)。

テイクオフ!

エアロラボのYS-11は撮っておかないとね。 しかしこのYS-11はどうなるのだろう?
アメリカへ渡って整備するという話があったが動きはないし、お金を寄付した一人目の私としては気になってしかたないです。
大阪人としては伊丹か関空か八尾に自治体が航空博物館を作って、メイン展示機にしていただきたいです。

高松空港のエプロンに駐機する機体も見ることができます。

次は高松空港の滑走路を隔てて反対側にあるさぬきこどもの国です。 すごい人気で、写真を撮ったこの高台の裏にある駐車場もいっぱいでした。

おっ! 高山航空神社があるのでお参りしなければいけないが、本日は時間がないので次回高山航空公園に来た時にリポートするのでお楽しみに。 次はいつになるかわからないけどね(笑)。

スペースシャトルから降りるローラー滑り台があるけど、おっさん一人で滑っていたら不審者に間違われるだろうな~(笑)。

ここが航空機を展示している飛行機広場ですね。

案内図

芸術派カメラマンはいい写真が撮れるかもわかりませんよ。

滑走路を離陸するところは撮影できませんでしたが、離陸後公園上空を通過するエアバスA321-272N(JA132A)を撮影できました。

公園から高松空港が見えます。

説明板

2013年に撮影した説明板ですが、相当劣化してますね。 寄贈は四国航空となっており、瀬戸内航空を吸収合併したのかな?

エンジンは装着されています。
というか、レシプロ機を展示する場合はプロペラは付けておかないとかっこうが悪く、エンジンが無いままプロペラを付けるとなるとプロペラを固定する改修をしないとならず、それにエンジンがないと重心がずれて尻餅をついたりするので、レシプロ機の展示機はほぼ全部エンジン付きです。

2006年7月18日撮影写真ですが、右側にも「せと」と書かれています。

何か裂けたような部品が尾輪に付いており、風で裂けるようにちぎれたのかな?
セスナ170のラダーの予備部品は無いと思うのでアメリカ等から輸入しなくてはならず、修復は難しいのではないかな~。

2013年9月18日撮影写真

2013年9月18日撮影写真

んっ! ラダーがないぞ!

2006年7月18日撮影写真ですが、以前は「せと」と書かれていたのですね。
この機体は元瀬戸内航空機とのことで、瀬戸内航空や現役当時からせと号だったのかをネットで調べてみましたがまったく出てこず、会社の概要もわかりませんでした。
ただ、セスナ172を8機とセスナ170を1機運航していた会社だということだけわかりました。
会社名からして高松空港か岡山空港か広島空港に会社があったのではないかと思います。 現在瀬戸内航空写真という会社がありますが、創業が平成13年なので別会社でしょうね。

最大速度は最新鋭のF-35と同じですね。

やはりアドアエンジンはターボファンエンジンでした。

世界の傑作機並みの部分写真ばかりですね。 もういいという方が大半でしょうね(笑)。

えっ! 2m引く!  ロープかワイヤー式なのかな?

アレスティングフック

2006年7月18日撮影写真ですが、塗装が薄くなっている部分が多少あるが大きな変化はありません。

T-2後期型(69-5126)

操縦席は一つです。

エンジンはライカミングTVO435と思われます。

ベル47の展示はそんなにないので貴重な機体です。

窓が割れて外れているようです。 これでは機内に雨が入ってきて、劣化が早まってしまうでしょう。

これは2006年7月18日撮影写真ですが、現在は塗装が若干薄くなっているように見えるがそんなに変わりがないですね。 奥に鉄塔が出来ており携帯電話の鉄塔と思われ、12年もたつとこういうへんぴな場所でも携帯電話が使えるいい時代になったもんです。

川崎ベル47G3B-KH4(JA7465)

ここは頂上で3機の航空機を展示しています。

次は香川県綾歌郡綾川町にある高山航空公園です。

ここへは2013年以来で3度目の訪問です。

熊本県上天草市で展示しているPS-1(5810)の魚雷ポッド(かな?)に生えていたのを見た以来です。
なお、撤去の方針が2017年に決まっていたこのPS-1は、2018年5月2日現在はまだ展示中ですので、このGWに熊本に行く予定の方はまだ見られますよ。
撤去時期はまだ未定とのこと。 どうにかどこかで再展示していただきたいな~。

再塗装がいつ行われたかわからないが、その時は生えていなかったのでしょうね。

草が生えている・・・。

この日本の景色をこれからも残していきましょう。

石碑

きっちり答えられる人は軍事研究科でもいないと思いますが近い値を答えられましたか?
多くの方々が飢餓と溺れと特攻でお亡くなりになっているのですね。 アメリカ兵でお亡くなりになった方でこれらにより亡くなった方は数パーセントしかいないのではないかな?
アメリカ軍は補給体制を重視していたし、B-29による爆撃の時も故障時や被弾時を考え救出ポイントを作って潜水艦を配備していたり、特攻はなかったでしょうからね。

2007年に作られたようですね。

四国の瀬戸内海側にはなく、高知県にはあったようですね。(回天記念館説明板より)

ここに説明板があったのだろうが、破れていてわかりませんでした。
ここで回天を展示しているので、この付近に回天の基地があったのではないかと思ったのだが・・・

茨城県土浦市にある予科練平和記念館で展示している回天

飛行機探訪で全国を周っていると、回天も色々なところで展示していて撮ってしまいます。

回天記念館前で展示している回天

徳山港で展示している回天

この写真は山口県徳山市の大津島にある回天記念館で展示している回天レプリカですがほぼ同じで、羽立峠の回天も精巧に作られています。

神龍のすぐ上で人間魚雷「回天」を展示しています。

ここは峠の高台にあり、ここが発進基地になっていたのかと思ったが違うようで、近くの東かがわ市出身の方が神龍の搭乗員の訓練を終えていたとのことです。

特攻用グライダー「神龍」というのをここに来るまで知らなかったのですが、日本海軍が試作までした木製の特攻兵器で、製造は美津濃グライダー製作所が行ない、茨城県の石岡や霞ヶ浦飛行場で飛行試験を行ない、試作機は5機だけで実戦には使われず終戦を向かえました。
美津濃グライダー製作所というのも初めて聞いたので調べてみたところ、はっきりわかりませんでしたが、現在世界でスポーツ用品を販売している「ミズノ」と関係している会社だったのではないかと思われます。
もしそうだとすると、ミズノは昔グライダーも製作していたのですね。
間違っていたらすみません。

公道から少し進むと施設が見えてきました。

ここも注意して走行しないと通り過ぎてしまいます。

ここは隣の太陽光パネルががっかりですけどね(笑)。

〇 特攻用グライダー「神龍」・人間魚雷「回天」レプリカ展示施設

墜落地点がここなのかどうかわかりませんが、殉職者の4名の方々はのどかなこの光景をずっと見ているのでしょう。
私も亡くなったら大阪ではなく、先祖が暮らした山口県の孤島にある先祖代々の墓に入って、毎日瀬戸内の海を見ていたいです。

慰霊碑の正面からはきれいな景色を見られます。

1975年8月5日にOH-6J(31063)が墜落したまではわかったのですが、ネットで調べても詳細な事故の内容はわかりませんでした。
新聞には取り上げていたでしょうが当時はインターネットなどなく書き込みをする人もいないので、事故の詳細は自衛隊の書類倉庫に残っているだけで、航空雑誌でも事故があったと小さく報じるだけでしょうね。
私の資料ではOH-6Jは117機導入されて9機事故で抹消されていますが、私の資料でも事故の日にちしか書いていませんでした。

OH-6J墜落殉職者慰霊碑

引き続き、四国のをリポートお送りいたします。

これは何だ? 二式大艇が揚陸するのに邪魔になるので、戦後建てられたのでしょうね。

巨大なすべりですね。 改修すればUS-2でも揚陸できるでしょう。

どう考えてもカメラ機材を持ってすべりの方に行くことができず、どうやって渡ったの?と聞くと、奥に梯子がありますと言うので行ってみるとあったので、これを使いすべりを見に行けました。
戦中に防波堤はなく、ここはエプロンだったのでしょうね。

でも、この学生さん達とあまりかわらない詫間海軍航空隊の搭乗員が、特攻隊員としてここから出発していったことは教えていただきたいです。
私の父も後数年戦争が続いていたら戦争に行っていたでしょうから、そうであれば私も生まれてこなかった可能性もあります。
詫間水上基地を飛び立つ時に、搭乗員はこの海と景色を見ていたのでしょうね。

おっさんになるとこの子たちのような学生さんと話をすることは少なく、数分でしたが楽しまさせていただきました。
「海が好きなのですか~」と聞いてくるので「飛行機が好きで~す」と答えました。
皆さんも好きなことを見つけ、その方面に就職するのも良し、私のように趣味とするのも良し、楽しく人生を過ごしてください。
そして恋愛をたくさんして、生涯愛して楽しく過ごせられるパートナーを見つけ、日本のためにお子さんをたくさん産んで育ててくださいね。
私もこの学生さんたちと同じ年齢の時があったでしょうが、男女で水遊び等に行った記憶がありませんしこんな気さくな人間ではなかったでしょう。
人生設計など考えずに生きてきたので、もう一度この年齢に戻って人生設計をしてまともな人間になりたいが(笑)、戻れないのが人生です。
私のような人間にならないようにそろそろ人生設計を考え、その明るさと気さくさをこれからも続けていってください。
これからの日本を頼みますよ。

えっ! 防波堤で海がみえないぞ。 少し歩いてみると小さな防潮堤がある場所があり、高さがあるが少しよじ登って海側を見てみるとすべり(滑走台)があり、そこで若い子たちが遊んでいました。

説明板

タラップを収納するはずなので待ってみました。

ここで時間となりました。

さあ降りましょう。

耐空証明書

左にあるのがステアリング用のハンドルです。

お伝えしたか忘れてしまいましたが、YS-11のこの客席上のスペースはハット(帽子)入れと読者の方から教えていただきました。
YS-11には4~5回搭乗したことがあるのですが、カメラ機材はどうしたのだろう?

二宮忠八の説明板がありました。

ギアナップ!

滑走路中心線を通過!

いつも八尾空港で見ているコーナン商事のセスナ525(JA525A)が離陸滑走してきました。

撤去・スクラップになってはほしくはないが、いつの日かもしスクラップになるのであれば、亀山市は綾川町にラダーを提供していただきたいな。

三重県亀山市所有の公園に前部風防に穴が開いたセスナ170Bがあり・・・

2013年に撮った写真も見てみましたが、既に「せと」の文字はありませんでした。

セスナ170B(JA3106)

計器は外されています。

エンジンの下の砂利が黒ずんでおり、エンジンからの油漏れがあるのでしょう。

次に来た時はまだあるかな~? いつまでも展示を続けてくださいね。

右側も同じところから生えていました。

2015年6月6日に撮影した写真ですが、今は再塗装されてきれいになっています。 が・・・

香川県高松市勅使町にあるリサイクルショップ「テンポス」で、2015年以来3年ぶりの訪問で、機体に大きな変化はありませんでした。

学の無い私ではどういう意味なのかはっきりわからないので調べてみると、山本五十六元帥が太平洋戦争開戦時に語った言葉で、軍を持つ事は平和を護るためであって、戦争をするためでは無いということだそうです。
今の時代に照らし合わすと、自衛隊員や兵器製造会社職員や国民で戦争をしたいと思う人は一人もいないと思うが、自衛隊は必要であるとなるでしょう。
戦争を知らない良い時代を過ごさせていただいた私達ですから、これから生活してゆく子供や孫のためにこれからも戦争の無い日本であるように努力していきましょう。

皆様も答えてみてください。

ここに色々な説明板があります。

真横写真は超広角ズームレンズで撮っても切れてしまいます。

人間魚雷「回天」(鉄鋼製)

ラダーペダルと壊れた操縦桿。 ラダーペダルが左右で位置が違うが、実機もそうなっているのかな?

特攻用グライダー「神龍」(石造り)

次に、香川県さぬき市津田町の羽立峠にある特攻用グライダー「神龍」と人間魚雷「回天」のレプリカを展示している施設に行ってきました。

裏には発起人と製作者が刻まれており、慰霊碑を設置したのは自衛隊ではなく地元住民の方々でしょう。
4名の隊員が殉職しているのに、自衛隊は慰霊碑を作らないのかな? もしかしたらどこかの駐屯地に設置されているかもわかりませんけどね。

石碑には殉職者の階級と氏名と墜落日のみ書かれており、事故の説明はありませんでした。

TOP

〇 空の夢もみの木パーク

〇 詫間海軍航空隊跡

YS-11のタラップ収納作業は、2008年4月14日に崇城大学で今はもうスクラップになったJA8712号機以来でした。

〇 さぬきこどもの国

エンジンは外されていました。

〇 高山航空公園

UH-1B(41506)

〇 リサイクルショップテンポスのUH-1B

これからの日本としていいことを書いていますね。

香川県東かがわ市にあるOH-6J墜落殉職者慰霊碑です。 この写真に慰霊碑が写っているのですがわかりにくく、車に乗っていたらわからず通過してしまうでしょう。

◎ 2018年徳島県・香川県撮影旅行 No.2

〇 OH-6J墜落殉職者慰霊碑

次に行ったのは、香川県三豊市詫間にある詫間海軍航空隊跡です。
昭和18年(1943年)6月1日に開隊した日本海軍の航空隊で、滑走路は無い水上機基地でした。 167機製造された二式飛行艇(通称二式大艇)で世界で唯一残っている鹿屋で展示されている機体も、最後の所属基地はここでした。
今は工場が並んでいるこの場所に、戦中は多くの大型格納庫が並んでいたのでしょう。

さぬきこどもの国で展示しているYS-11も撮影できました。

幻の特攻グライダー神龍Q&A

ここには昭和20年8月20日には10機完成したと書いているが、ウィキペディアには5機となっています。